2019/06/13

「うしろ姿」
…自分では見づらい部分です。
前から見える部分について
人は手をかけ、見栄え良く…と努めます。
一方
「うしろ姿」も大切だとわかっているものの
ついつい手を抜いてしまいがちです。
後ろから見た自分について問われたとき
あなたはどんなことを想像しますか?
実際の後ろ姿と
そしてもう一つ
存在としてのうしろ姿。
・・・自分が残す影響や余韻について
人はどのくらい心を遣っているでしょう。
例えば
レストランで席を立った後のテーブル付近の様子、
よその家を出た後の玄関先、
職場を去った後の担当部署の状態。
立ち去った後に
その人が残すものから
その人の本質が見えてくるように思います。
日常の何てことのない振る舞いから
人生スパンで記憶に留められる態度など
うしろ姿は、その人の姿勢が集約されているようでもあります。
「その時は余裕がなかった」…とか
「行く手に気を取られていた」…とか
心の置き場によって、残すものへの気遣いや丁寧さに差が生まれます。
逸(はや)る心
焦りの気持ちから
飛び立ったあとが想像できず走った自分。
この年齢になって、恥ずかしく思い出すこともあります。
生きている限り
私たちは出会いと別れの繰り返します。
華やかな出会いも大切。
しかし、
地味で
振り返りたくなような別れも大切だったりします。
一呼吸して
後ろを振り返り
身を処す余裕
忘れないでいたいです。