存在価値を想う時

「こんな私ではダメだ」
「価値がない」
…と自分の存在を軽く感じると悲しくなります。

自分への価値基準はどこにあるのでしょうか?

意識するしないに関わらず誰かとの比較で価値が上下している場合、気分は安定しません。誰かよりできないことで劣等感が強くなり、誰かよりできることで安心する。劣等感を感じることが多い人は「もっと頑張らないと!」といつも気を張っていたり、また「やっぱり私はダメだぁ」と打ちひしがれた気分になったりします。

「こう感じるのはおかしいのか?」
「人から見て私は浮いていないか?」
「ここで笑うのはおかしいのか?」

必要以上に他人と自分の違いを気にして、劣っていると感じる自分に結びつける。
相手のことを「スゴイ!」と思い、
自分のことを「ダメだぁ」と感じる。
相手によって気分が上下し不安定になるのは本当に苦しいです。

他人との違いは「差」ではなく、単なる「違い」であり、
優劣ではなく、「違い」なのだ…ということ。
そんなこと、理屈ではよくわかっている。

相手にできて自分にできない時、そのことによって「私の価値が下がるわけではない」と思いたい。
私は私で、私の存在価値はそのままだ…と。

また、優越感を感じたい人・・・こんなことはありませんか?
人の弱み、欠けている部分、できないところを無意識に探してしまう。テレビを観ていても 出演者についつい難癖をつける。うわべでは褒めるが心の底では相手の欠点を探している。こういう人は自分の欠点を探すのも上手です。人の良いところをそのまま受け入れ、「スゴイなぁ。見習いたいなぁ。」と思えると、自分の良い所も自然と見えてくるはずなのに。

あなたはあなたの為に生きる。
そうできることで、他人の幸せゴトも「よかったね」と思えたりします。

私は私のために生きる
⇒「私のため」ってなんなのか?
⇒それは「私のしあわせ」
⇒「私のしあわせ」はどういう状態なのか?
そう自問することで見えてくるものはなんですか?

関連ページ⇒幸せの条件

◆ ゲシュタルトの祈り ◆

水彩画私は私のために生きる。
あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に応えるために、
この世に生きているわけじゃない。
そして、あなたも私の期待に応えるために、
この世にいるわけじゃない。
私は私。あなたはあなた。
たとえ出会えなくても、
それもまた同じように素晴らしいことだ。


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