2019/06/13
「こう考えるのが当たり前」
「普通はこう考える」
「これが常識」
何を基準に
「普通」や「当たり前」を決めるのでしょう?
「普通」や「当たり前」を正しさとし
それを追い求めていると
時に胸が苦しくなります。
多数派を「普通」と捉えると
障害を持つ人は少数派であり
「普通でない」と捉えられがちです。
近年周知されるようになった発達障害について
友人と話していました。
障害と言っても
発達傾向の偏り度合いは
それぞれ幅があり一括りにすることはできません。
その上での考えとして
友人の発言が腑に落ちました。
それは
さまざまな人と関わりを持つために
発達に偏りがない…と思われる人にこそ
実は「社会に適応する」という形で
歪みが生じでいるのではないか?…ということ。
それに対し
持って生まれた特性を歪ませることなく
成長を遂げられるのが発達傾向に偏りがある
…と言われる発達障害者ではないか?
何が「普通」か?ということよりも
もっと大切なこととして
胸に響きました。
優劣ではなく特性、
短所ではなく長所、
…と捉えられると
眺める景色も変わって見えます。
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さまざまな本質が見えてきます。
自閉症の僕が跳びはねる理由