月

「“今”を生きていますか?」と問われ
「はい」と答えられる人はどのくらいいるでしょう?

過去を後悔し
未来を憂いながら人は生きる。
その度合いは違っても誰もが経験していることです。
いろんな喪失体験に傷つきながらの道中、“今”を生きられていない…と感じることもあります。

喪失体験というのは、死別のような決定的な別れだけでなく、老いることで若さが失われることや友人に対して信頼を持てなくなること、若年層では受験の失敗など「有ると思っていたもの」が失われたり「できると思っていたこと」が不可能に感じられる体験です。

仕事での失敗
恋人が冷たくなる
習い事が続けられなくなった…etc

このような体験を想うと人は喪失の中で生きているようにも感じます。そして、このような体験にどう対応するかが人生に大きな影響を及ぼすことになります。

どんな時に“今”を生きていないと感じるのでしょう?

大変なことが起こっても、気丈に乗り切る人がいる。
一方、ちょっとしたことでも大きく落ち込みへたり込んでしまう人がいる。

この違いは何なのか?
大きく落ち込む人は今のつらい体験と過去のつらい体験(感覚)とを無意識に結び付けてしまう傾向が強いと考えられます。

(※)つらいことが起こった時
「だれも助けてくれない」「だれも守ってくれない」「何もうまくいかない」と呪文のようなつぶやきが巡る。

そしてあの時と同じ【落胆の壺】に逃げ込み、「どうせ私は・・・」という収束地点に辿り着くのです。【落胆の壺】の中に居ると悲しく情けなさもあるけれど、一方では慣れ親しんだ落ち着く場所でもあります。つらい気持ちを味わっているけれど、その気持ちで居続けるという変化の無さが安定につながり抜け出しにくくなります。【落胆の壺】の中に居ることでフレッシュな風を感じることはできず日々に精彩を欠いてしまいます。

では、気丈に乗り切る人に傷つきがなかったのでしょうか?
そんなわけはありません。生きていれば誰もが喪失体験を味わいます。その中で気丈に乗り切る人は落ち込みはありつつもその時間が短く【落胆の壺】に入らずに済むことが多いのです。

落胆の壺に入らずに済むのはなぜ?

人の数だけつらい過去はあります。

両者の違いは、
そのつらい経験を「つらさを伴ったまま引きずっている」か「肯定的に捉えられるように整形できている」か…にあります。

過去につらい気持ち(悔しさ・憎しみ・恨み・淋しさ…etc)を残したまま「今を生きる(豊かに新鮮な気持ちで生きる)」というのは難しいことです。それでも“今”に集中することで気持ちが落ち着き、乗り切れる人はその方法でイイでしょう。しかし、そううまくいかない人は「今を生きる」=「目の前のこと以外は考えない」…とだけ捉えると「その場だけ」「逃避」「上っ面」など違和感をおぼえるはずです。

そのような違和感から抜け出すためには、まず上記の(※)つらい時に繰り返し蘇るネガティブな感覚に気づかなければなりません。そしてそれを変化させることで【落胆の壺】に入らない別の思考へと進むための意識を立てる必要があります。過去の経験を変えることはできません。しかし、それを捉え直すことで目の前の何気ない“今”を豊かに感じられる感覚が戻ってきます。

輝く


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